兄バカ

 僕には可愛い妹がいる。
その可愛さには例えどんなトップアイドルを並べようとも敵うことは絶対にないだろう。そう言い切れる。
 事実、以前近所のコンビニへ妹と二人で行った時、妹が通り過ぎると周りの人々が
 
「かわいいね、あのコ」
 
などと囁き合っていた。
 そんな事当たり前だろうと嘲笑しつつ、隣を歩く妹をまるで子猫を愛でるような眼差しで僕は眺めていた。
 
 八月の中旬。すっかり景色や聞こえてくる音が夏らしくなり、近づく夏休みを期待してテンションが上がりっぱなしの学生達が外で騒いでいる。
 僕と妹は公園で散歩をしていた。(妹を自慢するという意図もある。)滑り台の周辺をゆっくり歩いている妹の姿をベンチに座って眺めていると、妹が僕に向かって駆けてきた。妹が静かに身を寄せてきたので、僕は頭を撫でた。
 
「よしよし。」
 
「・・・」
 
 照れた様子ではあるが、手に頭を擦りつけてくる。こういう仕草ひとつひとつが、僕の愛情を著しく増大させる原因となる。
 
「スーパーも近いし、お菓子とジュース、買っていこうか。」
 
 僕が提案すると、妹は素直にコクコクと頷く。
 スーパーへの道中、やはり周りからは可愛いとの声が聞こえてくる。寄ってくる輩もいるが、そいつらは僕が阻止する。
 スーパーの自動ドアをくぐり、中へと入る。このスーパーはまさに地域密着型で、レジの人も大抵は近所に住んでいるおばちゃんだ。
 気が付くと、一人のおばちゃん店員がこちらを怪訝そうに見ている。妹のプリティーな容姿に妬いているのだろう。
 おばちゃん確かにモテなさそうだもんな、ハハハ。
 お菓子コーナーへ到着すると、妹は目をキラキラと輝かせ、お菓子を選ぶ。たまに菓子袋を開けようとするが、大人の兄貴であることを見せつけるため、それを優しく制す。
 すると妹はなんと少し頬を膨らませた。んー・・・少し怒った妹も可愛いもんだな。いかん、ニヤニヤが止まらない。
 
「で、どれがいいか決まった?」
 
 そう言った瞬間、すでに見当をつけていたのだろうか、数個のお菓子をものの数秒で持ってくる。
 
「これがいいのか。」
 
妹が頷く。
 
「これは買い過ぎだなー、少し減らそう。いらないものはどれ?」
 
妹は悲しげな顔をして、一生懸命いらない菓子を選ぶ。そんな顔するなよ、僕が悪者みたいじゃないか・・・。
 
「・・・しょうがないなぁ、買ってあげるよ。」
 
妹は満面の笑みを浮かべる。僕の心は一気に幸せ色の海へダイブする。
 ・・・金額なんて関係ない。幸せならそれでいいんだ。例えその日の予算をオーバーしても幸せに繋がればそれでいいんだ。
 
 財布の中を眺めながら家へと帰る。
 
「ただいまー」
 
「ああおかえり・・・!外で何かあった?変な人とかにいじめられなかった?」
 
母親が心配そうに言う。
 
「大丈夫だよ、問題ない。」
 
 親共には感謝している。なんたって―言わなくても分かるかもしれないが―こんな可愛い妹を産んでくれたからだ。
 とはいえ僕はマザコンじゃないんだから、そんなに関わってくるなよ、と多少気分を害しながらも居間へ向かう。
 
 居間の食卓で夕飯を済ませ、夜のフリータイムに突入した僕は部屋へと向かった。
 
「お前も部屋に来るか?」
 
妹は頷くことはしなかったが、黙って僕に付いてくる。僕は横目で妹を確認してニヤニヤしながら自室の小さなテレビを観ていた。
 しばらくそうしていると、妹が欠伸をした。
 
「どうした?眠いのか?」
 
妹が半開きの目をダルそうにこすりながらゆっくりと頷く。
 
「自分の部屋に戻って寝るか?」
 
再び頷くと部屋を出て行った。時刻は11時半。
 さて、そろそろ僕も寝るか、と部屋の電気を消し、横になった。
 
 そんな妹との幸せデイズを満喫しつつ、季節は秋へと切り替わっていった。
 
 十月十三日。母親が死んだ。幼いときに父親を失った僕たちを一人で育ててくれた母が。死因はストレスや肉体的疲労による過労死に近いらしいが、詳しくは教えてもらえなかった。

 僕は泣いた。亡くなったと知って泣き、通夜で泣き、葬式では火葬するときに号泣した。それを心配そうに見つめる妹。
 
「お前は強いな・・・ハハハ、悪いな、みっともない兄貴で・・・」
 
妹が首を横に振り、僕の肩に手をのせた。励ましてくれているのか・・・?・・・僕は更に泣いた。
 
「これからは二人で頑張っていこう」
 
涙をボロボロ流しながら妹に言うと、妹はコクン、と大きく頷いた。
 
 十一月に入った。親戚たちが子供の僕らをどうするか相談していたが、僕の叔父が僕らを引き取ってくれることになった。その準備をするため、荷物をまとめていると、母の財布が目にとまった。
 一瞬の躊躇い。だが僕は財布を開いた。二千円と小銭が少々。あとはポイントカード、会員カード、内科、外科、精神科、眼科などの病院のカード。
 特に目立って気になる事はなかったが、何故か不安を感じた。
 
 数日後、叔父が迎えにきた。
 
「この家は・・・どうなるんですか?」
 
「お金もかかるし、バーンと売りに出すかもしれないね。」
 
軽いノリで言われたが、かなり悲しかった。そこまで家自体に思い入れがあったわけじゃないんだけど・・・なんでだろう。
 妹がこちらをさびしそうに見ている。ああ・・・最近はあまり構ってやれなかったな、と後悔する。
 
「よしよし。」
 
頭を撫でてやる。途端、妹は幸せ全開の顔をした。僕も自然と頬が緩む。可愛いな、やっぱり。
 叔父の車に乗り込み、ぶら下がっているマスコットをじっと見ながら涙をこらえた。
 
「車、酔わないか?」
 
 叔父が僕たちを心配してくれる。妹を見ると、微笑みながら頷いた。
 
「いえ、大丈夫です。」
 
「別に敬語じゃなくていいんだぞー?身内なんだからさっ」
 
「あ・・・はい。」
 
こういうときはどういう返答をすればいいか分からなくなる。が、僕らの悲しみを癒そうとしてくれていることは分かった。
 数時間後、叔父の家に到着した。部屋へ荷物を運び入れる。
 
「前まで物置として使ってたところだったから、もしかしたらちょっとカビっぽいかもしれない。まぁ何か不満があったら言ってね。」
 
「あ、はい、分りました。」
 
 一段落つくと、叔父は買い物に行ってくる、と言ってどこかへいってしまった。
 
「疲れたか?」
 
眠そうな妹を見て言う。
 
「・・・」
 
妹はブンブンと首を横に振る。
 
「そうか、無理しなくていいからな。寝たくなったら寝ろよ。」
 
そう言うと妹は静かに頷いた。
 テレビ見てもいいかな・・・いいよね。心の中でコンマ数秒の葛藤の末、僕はテレビの電源ボタンを押した。時間は午後八時。番組はバラエティ一色だ。普通なら爆笑するようなネタも、今の僕ら二人にとっては面白くないものだった。テレビから聞こえる笑い声が虚しく感じた。
 ひとつの番組が終わるころ、叔父が戻ってきた。手には・・・まぁあれはカレーの材料だろう。ベタな材料共が見えた。
 
「今日の晩飯はなー・・・なんとカレーだぞ!」
 
「おお、カレー大好きです。」
 
喜びを演じる。正直食欲なんてなかった。
 夕飯を終え、僕と妹は今日与えられたばかりの部屋へ入り、二人で励まし合った。
 
「叔父さんに助けてもらってるし、頑張ろうな。何とかなるよ、きっと。」
 
 翌日、叔父から父の話を聞いた。切り出しにくい話だったが、叔父さんは「もう話しても大丈夫な年ごろになったかー」などと呟き、いつものノリで話してくれた。
 
「兄貴はなー、お前が産まれる時、仕事で病院にいなかったんだよ。だからな、仕事を終えると、それはもう光の速さで病院に飛んで行った。病室に着くころにはもう汗ダラダラでな。俺はそれをみて笑っていたんだ。その必死そうな顔、ばっかじゃねぇの、ってな。でもお前の母さんは
 
『はやく会いに行け!』
 
と兄貴を叱った。・・・、お前はいわゆる未熟児でな、まぁそういう部屋で治療していたわけだ。その部屋に着いてすぐに兄貴は泣いたらしい。未熟児だったことを嘆いて泣いたわけじゃないぞ。お前の無事な姿を見て、だ。
 後日、どうにか健康体へと戻ったお前を抱き抱えたお前の母さんは絶句したよ。 病院へ再び我が子の顔を見ようと飛んできた兄貴がな、途中、交通事故で死んじまったんだ。余程急いでいたんだろうなぁ・・・。お前の母さんは喜んだり悲しんだりで、もう大変だったさ。もちろん俺もな。
 で、後日、兄貴のカバンから、ある書類が見つかった。仕事がクビになった、っていう感じの内容だった。しかもその日付は、お前の生まれた日だったんだ。
 ・・・兄貴は複雑な気持ちのまま逝ったんだろうなあ。」
 
「・・・、そうだったんですか。」
 
 深くは分からなかったが、辛い悲しみを感じた。妹は顔を伏せている。僕は慰めない。慰められることがどんなに悲しいかを知っているから。慰めで生まれる涙も冷たいのだと知っているから。
 どこにやったらいいか分からない、モヤモヤを感じながらその日を終えた。
 
 叔父とも大分打ちとけ、少しずつ生活に楽しさを取り戻しつつあったとき、、叔父が結婚をすると聞いた。
 
「今まで通りここに住んでて構わないから、な?」
 
「おめでとうございます!お幸せに。」
 
と心から祝う。
 だが、ふと、さらに迷惑をかけてしまうんじゃないか、と不安になった。それを察したのか、叔父は
 
「大丈夫だって。やさしい人だから。」
 
と言った。優しい叔父だ、と改めて思った。
 
 十二月。新しい生活が始まった。結婚式はまだだが、同棲をするらしい。もちろん叔父は僕らを叔父の嫁に紹介した。
 
「こいつは俺の兄貴ンとこの子供だ。」
 
「へぇ・・・可愛いのね。」
 
俺の妹のことか?当たり前だろハハハ。
 叔父の嫁は優しく、そして明るい性格だったため、ネガティブになりがちだった僕たちの気分を少しずつ晴らしていってくれた。
 
 年が明ける。自宅以外での年越しは初めてだ。
 
「今年もよろしくね。」
 
と僕が言うと妹は笑った。さてどんな年になるのかな・・・・
 正月特番が落ち着き、世のお父様方の仕事が再開する頃には、叔父夫婦との生活にすっかり慣れていた。
 慣れた生活の慣れた夕飯の後、僕らは布団にもぐった。僕は尿意を感じ、自室からトイレに向かおうとドアを開いたとき、奥にリビングで家計簿らしき冊子を眺め頭を抱えている夫婦が見えた。
 
「やっぱり人数が多いと厳しくなるわよね・・・私たちの子供も欲しいし・・・。」
 
夫人の声が聞こえた。そのとき僕は確信した。 あぁ、やっぱり迷惑だったんだな、と。すーすーと寝息をたてている妹を見る。・・・可愛い。
 せめて、一人だけでも居なくなればマシになるだろうか、そんな考えが頭をよぎった。自分の中でその考えを否定することはなかった。
 叔父たちが寝たのを確認してから僕はトイレに行った。少し軽くなった体を休めようと布団に入りながら、もう一度妹の寝顔を見る。
 可愛いなチクショー。
 
 それから僕は毎日死ぬことばかり考えていた。迷惑をかけない死に方は何か。できれば楽に死ねる方法は何か。不安そうな僕に気がついたのか、妹は大丈夫かと心配をしてくれる。
 
「ありがとう。大丈夫だよ。安心して。」
 
僕の言葉に安堵した妹は笑って明るく頷いた。
 
ある暑い夏の朝。僕は珍しく一人だけで買い物に来ていた。あまりに可憐な顔で寝ている妹を起こしてまで買い物に来るのは、俺のダンディーブラザーのポリシーに反するからだ。
 少しのお菓子をカゴに入れ、レジまで進む。またお越しください、とマニュアル通りの接客を聞き流しながら店を後にする。
 大きな交差点。行き交う人と車、そして少しの二輪車。歩行者用の信号が点滅したので、僕は走り出す。
 
どうにか間に合いそうだ―
 
その瞬間、
 
向こうの車道から右折してきた一台のトラックが、一瞬の隙を与えられたドライバーを乗せて僕の目の前に現れた。
 
突然だった。
 
ああ、ぶつかる。
 
でも、丁度いいかな・・・
 
広がる暗闇。
 
遠のく意識。
 
一瞬の衝撃と、不思議と感じない痛み。
 
完全に視界が閉ざされた―
 
 
 
 激痛が走った。と同時に目に光が入る。
 
「痛っ!・・・ん?」
 
 戻った意識が、ここはどこかという疑問を生む。周りを見渡してみる。白く、硬く、冷たい壁、ベッド、テーブル、カーテン。帰還したばかりの意識でありながらも、そこが病室であると判断できた。
 
「ん・・・?暖かいな。」
 
 毛布とは違う、温もり。その心地よさの原因が知りたくなった僕は足のそばを見る。そこには一匹の猫がいた。
 それも、とても可愛い猫が。本当に可愛い猫だ。どんなトップアイドルを並べようとも絶対に敵うことのない可愛さ。つい自慢してしまいそうなほど。
 
「・・・?」
 
 心に引っ掛かりを感じていると、病室のドアが開かれた。
 
「おう!良かった、目を覚ましたのか。」
 
叔父のようだ。目の焦点が合わない。まだ完全に神経が機能していないのかな・・・?
 
「僕、トラックに・・・」
 
「あーそうだ。トラックにドーンとされちまった。ドライバーは逃げたけどな。ったく。あのヤロウ見つけたらタダじゃおかねぇ。」
 
「・・・でも、生きてる。」
 
「そうだ、生きてる。足とアバラ辺りの骨が折れたが、内臓とか傷つかずにすんだみたいだ。よかったな。」
 
「そう・・・」
 
「どうした、浮かない顔して。」
 
 正直生きていたことは素直に喜べなかった。
 
「いや、なんでもない。それより・・・、この猫は一体・・・?」
 
「・・・猫に・・・見えるか?」
 
「・・・うん。」
 
「本当に?」
 
「うん。かなり可愛い猫だね。」
 
「・・・そうか・・・それは良かった。」
 
「・・・え?」
 
 いまいち把握できない。猫が見えて、それが良かった?どういうことだ。
 しばらく考える。
 
「・・・まぁ、あまり深く考えるな。」
 
叔父にはそう言われたが、さらに考えたくなってしまう。
 
 そして、思い出す。
 
妹の存在、過去の記憶、過去の傷を。いや、存在を思い出すというのはある意味間違いかもしれない。
 
 僕は・・・本当にバカな兄だ。